(A note of travel)           

   

              ハワイ あれこれ

 HAWAII訪問(2002年12月6日〜10日)


 今回、私にとって初めてのハワイ旅行、ボランティア団体の繋がりで訪れることになりました。現地の人々の心温まる歓迎を受け、期間は短くともハワイにどっぷりと浸ることができました。そこで、お世話いただいた方々への感謝の意を込め、また私自身この思い出を大切にすべく、気付いたこと、感じたこと、聞きかじったことを、また、私なりに調べたことを書き留めました。ただし、旅行日程はホノルルマラソンに参加するために組まれたものなので、マラソンイベントへの参加がメインになってしまったことをお断りしておきます。是非、ハワイ事情にお詳しい方からのご指摘、ご教示賜りたいと思います。
        (ご参考) ●HONOLULU MARATHON
                翻訳版(HONOLULU MARATHON)
                Honolulu Marathon Highlights
              
               ●リラックスHawaii


ハワイは、日本人に最も人気のある海外の観光地で、現に多くの日本人が訪れており、日系人も多く住んでいます。

キャプテン・クックがハワイ諸島を発見したのが1778年、それがきっかけでハワイは、広く西欧社会にその存在を知られることになりました。その後、カメハメハは西洋人から最新の武器等を手に入れ、1795年にハワイ王朝を樹立。ハワイの島々が独立王国として存続し得ることとなる。しかしながら、1898年にはアメリカの領土に。その後、日系人の政界での頑張りもあり、ようやく1959年にハワイ州昇格案がアメリカ国会で承認され、50番目の州になりました。

ハワイ州政府年鑑(部分的にコピーを取っていただいた:2000年の統計)、あるいはアロハ年鑑によれば、ハワイの人口は州全体で121万人で、州政府は4つの市・郡の自治体、つまり、ホノルル市・郡(88万人)、ハワイ郡、マウイ郡、カウアイ郡に分けられる。このハワイ4郡の自治機能としては概ね、公道、ハイウエイの建設・維持、警察、消防、下水道整備などがある。また、そのブランチの例として、アラモアナショッピングセンターの一画に、ホノルル・サテライト・シティーホール(日本の市役所の支所)があり、市民サービスの窓口となっています。

ハワイには日系人が多く住んでいる。その歴史をたどっていくと、まず1868年に日本人移民が初めてハワイに入りました。それから、1924年の移民禁止までに集中豪雨的に多くの人が渡り、なかでも、広島県、山口県、熊本県、福岡県出身の人が大部分を占めるといわれる。そして、現在ハワイ全体で18%もの日系人が住んでいます。

その後、1972年に、ジョージ有吉氏が州知事となる。さらに、10余年前には、幸村女史がカウアイ郡の市長に就任。日系人が政治の表舞台にも登場するようになりました。

ここに至るまでに、多くの困難がハワイに渡った日本人や日系市民に待ち構えていました。太平洋戦争もその大きな試練の一つで、例えば、情報部隊の日系兵たちの功績も大きいとのこと。こうした日系人の努力があり、今日これほどまでに、私たち日本人観光客を受け入れてもらえるようになったこと、改めて感謝しなければなるまい。

○ハワイを訪れる観光客は多い。年間700万人で、アメリカ本土からが一番多く410万人、次いで日本からの180万人となっている。また、観光客1人1日当たりの滞在時の消費額は日本人が222ドルと高く、アメリカ人平均の146〜164ドルを大きく上回っている。

日本国籍の場合、観光目的で入国する際はビザは不要。また、日本との時差は19時間(日付変更線をまたげば5時間)で、往きの飛行時間は約7時間。つまり、夕方に日本を発つとハワイには同じ日の朝のほぼ同時刻に到着、機内での睡眠が思いのほか大切になる。また、時差ボケ早期解消の方法は、着いた初日の昼間はなるべく外に出て眠らないようにするこということですが、如何なもんでしょう。因みに、帰りは約9時間と幾分余計かかる。ともかく、日本とハワイ間のフライトは日付が1日ずれる程度で、実質5時間の時差はさほど問題ないが、夜のフライトでは睡眠をとることが大事と私の経験からも言えましょう。

ハワイの水道水は基本的には飲める。とりわけ、ホノルルでは概ね、地下水(伏流水?)を利用しているので、おいしく飲みやすい。しかし、なにぶん気温の高いところであるとともに、地域によっては水質が良くない場合もあるらしいので、ミネラル・ウォーターが無難かもしれません。

ハワイでは土地の値段が高い。大地主が大部分の土地を所有していることに原因あるともいわれている。

オハフ島で北緯21度、亜熱帯のハワイにはわが国のような四季がない。しかし、乾期(5〜9月)と雨期(10〜4月)に大別され、気温は1月は(最低摂氏18度、最高27度)、7月で(摂氏22度、28度)と、年中過ごしやすい。これは、カリフォルニア寒流の影響で気温も海水温もあまり変動しないんだとのこと。

ハワイでは英語が広く使われている。しかし、日系人も多く、また日本からの観光客も多いため、ホテルや商店街では日本語が通用するケースが多い。また、王朝の時代から使われてきたハワイ語も残ってあり、原住民はともかく、日系人もかつては習ったこと使ったこともあるらしいが、今はほとんど使うことはないとのこと。

ハワイの法律では、バスの中では立ってはいけないし、食事をしてもいけない(飲み物は別)ので気をつけないといけない。

比較的安全といわれるハワイだが、貴重品の管理をはじめ、あくまでも外国にいるということをわきまえておかねばいけない。とりわけ、日本人観光客がよく引っかかるのは、キャッチセールス(街の中で声をかけてきても立ち止まらない)と、オウム(記念写真等にオウムを借りない、後で法外な料金を請求されることもある)とのこと。

ダイヤモンド・ヘッドはハワイで最も人気のある観光スポットの一つである。今は州立自然記念公園となっており(入場料1ドル)、約30万年前に起こった噴火によってできたクレーターの外輪山である。100年前に軍用地に指定され、要塞化が進められた経緯があり、30〜40分の登山コースの頂上付近にある70mも続く、真っ暗な狭いトンネルが印象的。ともかく、頂上に上ると絶景かな、これがハワイかなと感激。登山・ハイキングの好きな私にとっては、最高の眺望スポットでないかと思われる。この山の名の由来は、300年前に西欧の探検家がこの山を訪れた際、光る方解石の結晶をみつけ、ダイヤモンドと見誤ったことから、“ダイヤモンド・ヘッド”と呼ばれるようになったとのこと。



ホノルルマラソンはJALが主催し、例年12月の第2日曜日に開催される。早朝5時スタートのフルマラソンがメインで、基本的には全員が完走する(途中歩く人、休憩する人が多い)ことを目標にしており、例年多くの市民ランナー、観光客が参加する。一方、これとは別にレースデーウォーク(10キロ)も開催されるなど、ハワイで最大規模のスポーツ・イベント。

30回目を迎える2002年の大会では、フルマラソンには約3万人、ウォークには約3千人もの登録があり、大会の運営に協力されたボランティアも1万人と賑わいのある大会である。また、大会当日は交通規制もかかり、地元の人の協力、応援も大会の開催・運営になくてはならない。そして、とりわけ日本人参加者が多いことで有名、今回は全体の56%を占めていたとのこと。また、テレビ番組の製作等を兼ね、有名芸能人の参加も毎年ある。

フルマラソン参加者は、タイム計測用のチャンピオンチップを靴ひもを通してシューズに固定する。計測ポイントは、スタート地点、フィニッシュ地点、そして途中3箇所に設けられている。計測ポイントを通過すると、電波をキャッチしてその情報がコンピュータシステムに自動入力される仕組み。したがって、フィニシュ地点ではボランティアの指導により、設置されたパソコンを使って知り合いのランナーの状況を確認できるのが有難い。

マラソンのスタート時刻は午前5時で、まだあたりは真っ暗。常夏の楽園ハワイならではの時間設定である。気温は20℃とアナウンスされていた。交通規制がかかるため、バスでの送迎が必要な宿泊客は午前3時前にはホテルを出る必要があるらしい。

ともかく、参加者の多さにビックリ。まずはスタートラインがよく見える場所に陣取り見守る。花火が打ち上げられ、まもなくスタートの合図。次から次へとランナーが駆け抜けていく。さしずめ人の大きな塊が移動していく様相を呈し、後続ランナーにとって、スタート付近はとても走れる状況ではない。

一方、私は10キロウォークに参加。距離は短いし、タイムも計らない。マラソン参加者がほぼスタートし終える頃、20分遅れで出発の合図が出された。はじめから私は、この10キロを走るつもりでおりました。ところが、マラソン参加者の後部につけてる人は、予測タイムの遅い人ということもあり、また参加者のあまりの多さに、1〜2キロは思うように走らせてもらえなかった。でも長丁場のマラソン参加者と一緒に走ることができ、気分的余裕もあり、楽しめました。(本来は、ウォーク参加者の中で走ると危険が伴う場合があるので、遠慮しないといけないらしい。注意!!)

私は、もともとこのイベントに参加できることに感謝し、多少準備もし、また楽しみにしておりました。したがって、この雰囲気は何とも言えず、爽快感、一体感、いわゆる旅の贅沢を充分味わさせていただいた。

10キロウォークで走り終えると、もう既にウォーク参加者でゴールし終えている者もいました。まだ薄暗い中、用意してあったシャツに着替え、マラソンのゴール地点に出向くと、ちょうどトップランナーがフィニッシュするところであった。他のウォーク参加者が到着するまでの間、一流ランナーの走りをゆったり見ることができました。スピード感あふれる、美しい走り、いわば「最高の走る芸術作品」に感激。しばらくして、優勝者、準優勝者のケニア選手への地元テレビ局のインタビューの後、私は思わず握手を求めに行きました。

この大会には、人それぞれの楽しみ方、目的があるものと思います。例えば、競技そのものへの参加ではなく、大会運営の協力ボランティア(給水ポイント、インフォメーション・・・)として、現地の人、日本人留学生、旅行客がたくさん参加、心から楽しみ、元気を共に分かち合っている姿が印象的でした。現に、今回のツアー仲間もボランティア登録し参加、充実感に浸っておりました。

ハワイといえば、ワイキキ。残念ながら今回は、ホテルまでの道すがらワイキキビーチを眺め、記念撮影をしただけであった。ご多分にもれず多くの観光客がビーチに繰り出していた。でも、ハワイの海は一年を通して、日本の真夏の頃に比べ海水温が低いということです。

1年中温暖でカラッとした好天のハワイでは、マリンスポーツとともにゴルフに人気がある。比較的平坦な地形が多いことも好条件である。パブリックコースとプライベートコースがあり、キャディーがつかないセルフプレイ(カート利用)が特徴で、一般の観光客は1ラウンド80〜100ドルでプレーできるとのこと。また、クラブ・シューズのレンタルもあり、ゴルフ好きの人には楽しみも増える。

一方、パブリックコースでは地元の人が優遇され、ゴルフ愛好者も多いという。例えば、高齢者(シニア)はカート無しで1ラウンド、5ドル(カート付で15ドル)でプレーできるとのこと。

ハワイには鉄道がないことに気付く。今は、島と島は空路、島内はハイウエイ、整備された道路が張り巡られている。ただし、マウイ島では蒸気機関車のサトウキビ列車「ラウンド・トリップ」が、今は観光用に利用されているらしい。

オハフ島には名所が多いが、今回はあまり時間的余裕がなかった。そんな中、州立公園のヌアヌ・パリ展望台に立ち寄ることができました。ここは、カメハメハ大王がハワイを統一した最終決戦地として知られており、風がめっぽう強く、正直この自然の凄まじい力に驚きました。

カウアイ島は、地形的にも変化に富み、深山渓谷、渓流、田園の美が味わえる。Garden Islandとも呼ばれる所以である。今回は、滝と先住民(メネフネ)の人工池を見学。時間が許せば、シダの洞窟、熱帯植物園、他にも見逃せない観光スポットがたくさんある。

空港での手荷物審査が厳しくなっている。特に、国内線では(カウアイ島へ渡る:35分のフライト)、靴を脱ぎ、ベルトを外し、全身を金属探知機で調べられ、財布の中身まで確認されました。面倒なことは確かだが、逆に安心して、飛行機を利用できるともいえる。

ホノルルマラソンの会場で日本人の長期滞在者に、また、ハワイ在住日系人に、機会あるごとにハワイの感想を尋ねましたところ異口同音に、素晴らしいところ、気に入っているとのこと。その笑顔からも心境が伝わってきました。是非、また訪れてみたい。これが、私の正直な気持ちである。


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