(A note of travel)           
   

              インド コーチン

 インド訪問(2004年8月11日〜16日)

 今回のインド コーチ(コーチン:最近、地名を以前の呼び名に戻そうという動きがある)も、ボランティア団体の集会出席が目的で訪れることになりました。広大な国土と想像を絶する永い歴史、そして、10億を超える国民を抱えるがゆえに、多種多様な民族・言語・文化のインド。この国を一度は訪れてみたいと、かねてから思っておりました。
 ただし、旅行日程は大会に参加するために組まれたもので、残念ながらコーチ以外の都市へと足を延ばすことができませんでした。

 11日の正午に関空を発ち、シンガポール経由でインドのコーチには、現地時間で午後11時30分(時差は3時間半)に到着。コーチ空港では、10名程の関係者が出迎えてくださいました。ホテルに着くや否やチェックインを済ませ、その日はすぐに休みました。
 翌日はまず、知人が祝電を打つということで、フロントに頼みホテルの車で現地の電報局へお供することになりました。その後、OPの昼食ツアーに参加、シーフードと現地のビールで英気を養いました。ホテルに戻り、隣接の大会会場で登録を済ませる。
 午後3時から大会が始まり、7時には楽しみの晩餐会。テーブルに着くや否や食指が動き出した私だが、ご挨拶やら何やらで2時間近くもお預けになる。とにかくインドでは、時がゆったりと流れることを感じさせられる毎日でありました。
 インドは、5%の人が裕福でそれ以外の人は貧しいといわれるように、貧富の差が激しい。二日目は、有志で市内観光に出かけました。街に出ると、日本では見かけることのない生活スタイルを目にし、いろいろ考えさせられました。ここケララ州は、海外への出稼ぎ者が多く、仕送りがあるためインド国内では格別恵まれているらしい。インドは、想像できないほど広大な国なのです。250もの言語が存在し、ルピーのお札には15種類の言語が記されているとのこと。ヒンドゥー語と英語が公用語ということもあり、街のあちこちにはその土地の言葉も含め、3ヶ国語の併記をよく目にしました。もっとも、インド国内の主な会合では、公用語の2言語が分かればコミュニケーションには困らないらしいです。
 聖フランシス教会には、1524年この地で死んだヴァスコ・ダ・ガマの墓石が床に埋められている。そのすぐ近くに、ユダヤ教のシナゴーグ(会堂)がある。ユダヤ人がこの地へ来たのはきわめて古い時代であるらしく、ポルトガル人が来るまでの長い間この地域にユダヤ人王国が築かれていたとのこと。ところで、インドというとまず「カレー」が思い浮かびますが、もともとインドにはカレーという名の食べ物はなかったらしい(マサラを使ってつくられた料理それぞれに名前がある)。それよりむしろ、「チャイ」という飲み物がよく知られている。簡単にいうとミルクティーのようなもの。
 三日目の午前中は有志でタクシーに乗り、商店街へと出かけました。そして、昼からは参加者全員がクルージングを楽しむ。Backwaterクルーズで新婚旅行のメッカとなった保養地へ渡り、そこで昼食。この間、船の中で他国からの参加者と交流を深めることができるなど、ゆったりとした楽しいひと時でありました。この日の夜も晩餐会で寛ぎました。
 最終日は、午前中に行われた閉会式に参加。折りしも、この日(8/15)はインドと韓国の独立記念日。インドの伝統的なバナナの葉に乗せた昼食をいただき、大会は無事終了。深夜の出発までに時間がありましたので、帰りの便が同じ仲間でバスをチャーターしての市内観光。夕食も一緒に楽しみました。
 最後に、今回、インド訪問の機会に恵まれたことに感謝します。また、実際インドに行き、たとえ人が多く、貧富の差が激しくとも、自然に恵まれ、その自然とマッチした社会であれば、人はたくましく生きられるものであることを教えられました。もしかしたら、成熟した社会に住む私たちが、どこかに置き忘れてきた何かに気付かせてくれる、そういう国であるまいかと思うのであります。


 
以下、スナップ写真をサムネイル形式で掲載いたしてます。ご覧になりたい写真をクリックしていただくと、その画像が大きく表示されます。

途中、シンガポール・チャンギ空港で乗り継ぎの待ち時間
この写真は、フリーのインターネットコーナー


 インドについての解説 (PDF)
 インド観光ガイド2 (リンク)
 インド 神の国ケララ州 (リンク)